おもしろいもので人間色々なことを体験して、やっとそれについて
分かるものですね。 頭で考えるところ、それを超える感覚を知ることになる。
楽しさも、辛さも、悲しみも、喜びも。
今日はあるお坊さんが、座禅を紹介しようとした時の気づきの話をTVで観て、
″なるほど″と感心した話を一つ。
「座禅の手の組み方を、本で詳しく紹介して下さいという依頼が来ました。
そこで、組み方を詳細に説明しようとしましたが、これでは座禅を外から
作る事になってしまうので駄目ではないか。
これは形を真似ることであって、本質ではない。
違うアプローチが必要だと感じました。よく座禅を行うと言うが、
座禅とは“行う”ものではなく、自然と出来上がっていくもの。
内側からのある感覚を手がかりに、ある有り様を探求した結果、
えられるのが座禅の形。
"例えば、背中は伸び手を組む、目は半眼のようになり呼吸はこのように..."
というような事は、結果であってこの形を真似ればよい、
というような事ではない。
そこにある形は、必然的な形ということ、、、意識でかためてはいけない。」
この番組を見て、座禅での感覚という事でなく、“他の事”に置き換えても言える
ことな気がする。としっくりきた部分があり、一つ勉強になりました。
少し違うかもしれませんが、作る事と結びつけて考えるので、民芸の″用の美″
という言葉を頭に思いうかべました。
″必然的な形、、、″凄くするどい言葉ですね。
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